中途半端、でも一途

くすんだ乙女心が疼く日々

母の思い出話を勝手に語ってみる

現在母は私と同じくKinKiファンである。コンサートは親子で参加することが多く、遠征も母と一緒に行くことが多い。

 

そんな母であるが、若き日はどちらかというとアンチジャニーズであった。10代の頃は洋楽をメインで聞き、外タレに熱狂し、その後はニューミュージックに嵌っていたようだ。

 

そんな母を変えたきっかけは「愛LOVEジュニア」という番組である。私はその前番組である「愛ラブSMAP!」を見ており、その流れで「愛LOVEジュニア」も1回目の放送から見ていた。その日はたまたま母と一緒に番組を見ていた。とあるジュニアの子が映った瞬間、母が突然「この子名前なんて言うの?」と聞いてきた。どうやら母の好みドンピシャの子がいたようで、その日から母は私より熱心に番組を見るようになった。

 

母はどうしてもそのジュニアを生で見たくなってしまった。するとタイミングよく、私が「KinKi Kidsのコンサートに行きたい」と言い出した。KinKiのバックに彼がつくだろうと思った母は、これ幸いと私の願いを叶えるふりをしながら、着々と自分の願望を叶える準備を進めた。コンサートに行くにはFCに入らなければいけないことを私に伝え、まんまとその言葉に乗せられた私は母に「KinKiのFCに入りたい」とお願いしてしまった。私の願いを叶えたという建前で母はFC入会の手続きを進め、その年の冬に初めてKinKiのコンサートに行くことになったのだ。

初めて参加したKinKiコンにそのジュニアもついており、母は初めて彼を生で見ることができた。その時の母の興奮の度合いは今でもはっきり覚えている。

 

その後も母は彼を応援していたが、生で見たのはKinKiコンについた数回だけであった。当時ジュニア単独のコンサートも開催されていたが、私が行かなかったため母も参加しなかったのだ。立派なジャニオタとなった今ではコンサートの一つや二つ1人で参加できるだろうが、当時はそんな勇気は母にはなかったのだ。黄金期と言われていたあの頃、ジュニアの人気は凄まじく、ジュニア単独のドームツアーが行われた。そして、彼はこのドームツアーでジュニアを卒業した。退所ではなく、敢えて卒業と書かせてもらう。先にも、そしておそらく後にも、正式に卒業が発表されコンサートで卒業セレモニーが行われたジュニアは彼だけである。チケットが取れたかどうかは別にして、母はこのツアーに行かなかったことを未だに悔やんでいる。雑誌に載った彼のお別れの挨拶のページは今も大事にファイリングされている。

 

その後の母は「SHOCK」の観劇をきっかけにあっさり光一さん寄りのKinKiファンとなり今に至るのだが、今もTV番組で昔の映像が流れると、真っ先に探すのはKinKiではなくジュニアであった彼の姿だ。

 

今でも彼は母にとって特別な存在である。